相談役コラム

会長コラム ~同人誌『飛翔』に投稿したコラム集~

新居に住んで

 前号の服部朝子さんの「裏の畑で考えた」を拝読して考えさせられた。私の初めての畑造りのなんと安易なことかと。園芸店で出来上がりのポット苗と、種から育てたいと考えた品種の原産地表示をみるとアメリカはおろかチリ等世界各地である。たぶんモンサントの遺伝子操作がされたものもあろう。

 6月末に孫二人をよんで春先に植えたジャガ芋と大根の収穫を楽しんだ。大根は長い物で60㎝が採れたが、お裾分け出来るような物は半分程の成果であった。ジャガ芋は種芋袋に10k採れますとあった通りの出来栄えで、会社の皆さんにもお裾分けすることができた。初めての家庭菜園としては及第点がもらえるか。

 かぼちゃの種8粒は元気よく成長し葉を繁らせて、他の畝のピーマンやきゅうり・枝豆畝を侵食し、今や畑の半分くらいの勢力で伸びている。ゆずの木・イチジクの枝にも覆いかぶさっている。黄色い大きな花をたくさん咲かせているが、かぼちゃの玉は二個ほどしか見えない。来年はかぼちゃの作付けはしないようにと思う。

 とうもろこしは実が大きくなってきた。7月末ごろに収穫が出来るようだが、一本にひとつしか実がならない。園芸本によると3~4本結実と記載されているが、効率のわるい作物なのか、私の手入れの未熟さであるか。

 家庭菜園をやっている知人から、胡麻・バジル・黄色いかぼちゃ・ねぎ苗と色々と頂き植え付けている。10帖の和室から雪見障子を上げて広縁越しの庭を見渡すと、夏野菜が茂って畑はいっぱいである。

 はや5ヵ月が過ぎた新居生活はやっと落ち着いてきたところであるが、10代後半に理想の住まいをプランニングしていたことを思い返した。敷地100坪に木造軸組工法床面積60坪、車庫と庭の理想の住宅プランであった。将来だれと住むとか、何人家族とか、何処に住むとかでなく単なる理想の住宅であった。高校建築科で学んでいたことから、理論住宅の夢を描いていたのだろう。

 私の生まれた家は、両親と子供4人が住む狭い借家であった。父は私たち子供が成長する度に何度も改造工事を行い、私が中学の頃、男の子と女の子の別部屋を造り、私が結婚して山科に家を新築して出ていく迄、私は弟と二人同じ部屋で寝起きしていた。

 山科の家は、当初作業場として購入した土地で、作業場の空き地に仕事の切れたときに私が図面を書いてぼつぼつと建てていたが、23才の時、結婚が翌年の3月に決まり年末から造作工事にとりかかった。作業場の横の小さな二階建の荒壁和風住宅であったが、結婚式迄に仕上げ工事を行なった。

 その後、子供が次々と生まれ手狭になったので倉庫を潰し増築工事を2回行い、5LDKの大きな家になったが、理想の家造りではない。今は三男が住んでいる。長男は南区に木造三階建住宅、次男は西京区に自ら設計した木造二階建住宅、長女は伏見の建売り三階建住宅を購入してそれぞれ生活している。

 あれから50数年たった今回の住まい造りである。連れ合いとの二人暮らしであることから、理想の60坪ではなく35坪のこじんまりした家であるが、喜寿を迎えての最後の家造りなので、今までの住まい造りの経験から納得のいくものとしたかった。

 接着剤で固めた合板や積層材などは一切使わず、柱梁の構造材・下地材・床壁天井の仕上材などの材木は、すべて無垢の各産地の国産材とした。五ヵ月たった今でも、帰って玄関建具を開けると、桧の香りがプーンとただよい幸せな気分になる。

 高温多湿な日本で果たして接着剤は50年・100年接着力を保持できるのか。メーカーや建築界はおすみ付をあたえているが、それは良好な環境で接着剤の劣化性能試験をしたにすぎない。築50年程の住宅の改装工事をしていると、一階の床下地合板やフローリングはふにゃふにゃであることが多い。20年程のソーラー発電パネルを乗せている屋根改修工事では、屋根合板もまた、ふにゃふにゃである。接着材は創られてからまだ数十年しか経っていない。長期にわたりその接着力が保持出来るのかと思われるので、今回の家造りでは使用しなかった。

 

2024年7月19日 

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