相談役コラム
8.212017
富士霊園の桜
妻から、「先生、6時45分亡くなった。密葬になるから一切、死を伏せてくれ」。と連絡を受けたのは今から4年前の9月8日であった。危篤状態に陥り、妻に行ってくれと送り出したが、さすがにうろたえた。マスコミ関係者等から問い合わせが来たが、はぐらかしていた所、12時前のNHKでテロップが流れ、知るところとなった。
私は、密葬にするとのことで京都に居て、行かないことに決めたのだった。
2005年4月の納骨から3年目となった、今年の春。水上先生が眠っておられる静岡県富士霊園に墓参りがしたくなり、霊園の桜が満開になる頃合の4月6日にお参りに行った。
京都から名神高速にのり、草津田上で部分開通した第二名神に入った。亀山で東名阪から伊勢湾岸道路をへて、東名高速で御殿場インターまで気持ち良く走った。東名高速富士川を超えた辺りから時折見える富士山は頂に雪を覆い、観光写真で見るようなみごとな姿であった。
富士霊園の作家の共同墓所は、日本文芸家協会が浄土真宗の住職の長男に生まれた丹羽文雄会長のもと1969年に設立したと石碑に刻まれていた。
大きな一枚石に6名の作家の名前が記されていて、その石版が屏風のように並べられている。数百の作家名の中で、水上勉の墓碑銘は第6期の中ごろにあった。『水上勉 2004年9月8日 85才 雁の寺』と刻まれていた。亡くなられてからも、あいついで刊行されている先生の本を、最近も読んでおります、と墓前に報告した。
水上は『心友』の間柄であった日本共産党元委員長の不破哲三氏が編纂した「同じ世代を生きて」は水上氏と不破氏の往復書簡で、お二人が初めて京都で会われた16年前、私も食事を同伴させていただいた思い出などもあり、手紙の中に、私のことがたびたび出てくるので、出版半年前に不破氏からは実名での掲載でよいかどうかと連絡を頂いたりした。
また、水上氏の戦争に関する作品を集めた「日本の戦争」が不破氏編集で新日本出版社から2月に出版された。満州を理想郷と宣伝し、満州開拓青少年義勇軍に最も貧しい京都府下農村を廻って駆り出していった「比良の満月」や、天皇の馬を世話する輜重輸卒としての生活を描いた「馬の話」など7編を貫く水上文学の「底流」は、天皇の名においてすすめられた戦争と軍隊の本質を、最低辺の兵士、庶民の視線から描いている。水上先生から、伏見の馬係の苦労話や、京都府下の農村を幻灯機を持って廻った話などをお聞きしたことを思い出しながら読んだ。
同社から昨年9月、戯曲「釈迦内柩唄」も再編出版されている。また光文社文庫で復刻版として「飢餓海峡」が出された。
霊園の墓石に赤字で刻んでいる作家は生前からの〝予約〟であるようだ。水上先生の前の列、第3期石版に黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」を見つけた。死亡年月日空白で赤字彫である。たしかトットちゃんは1981年の作だから、その後、これ以上の創作はないとのことで代表作に選んだのだろうか。
残念ながら桜の満開にはあと数日ありそうで、蕾を愛でて霊園をあとにした。
帰り道、700㎞近く走ってガソリンが残り少なくなり、愛知県の刈谷サービスエリアの給油所に入った。4月1日から安くなっていると思っていたので、153円(内ガソリン税53、8円)の表示に、暫定税率分をなぜ下げないのかとスタンドマンに問いただすと「公団の指示」との返事、高速道路の走行中は給油所を選べないのをよいことに、暫定税率が期限切れから6日もたつのに、道路公団批判が連日報道される訳がよく判った。
2008年4月27日