相談役コラム
12.42017
法人設立20周年におもう
世の中は何事につけ一定の周期で回っているように思われる。
人生50年と言った前時代、100年を一世紀とした西洋文明、1000年をミレニアムという舌を噛みそうな年を数年前にむかえた。
私の会社は今年、12月28日が20周年にあたる。家業としては祖父から数えて100年程になるが、私が三五才の時、仕事のやり方で父と衝突ばかり繰り返したあげく、父から「おまえがすきなようにやれ」と言われて経営を任された。父はその時まだ64才であった。父の気が変わらない内に事を進めようと12月の年末であったが、懇意にしていた司法書士に相談したら株式会社にしたら役員としてお父さんの給料が取れますよ、と教えられ隠居でない処遇が出来る事を知った。そのような訳で弊社の法人設立日は法務局の年度末最終受付日の12月28日となってしまった。商業登記簿を見たのはもちろん翌年であったが。
今年の12月28日は日曜日で翌週から正月休暇に入り、創立20周年を祝ってくれる人はいないと思うが、私は秘かにこの日を心待ちにしている。
20年という歳月は、人生80年の今日、子供から大人になる最も大きな筋目である。法律行為の総てを自己責任で行なえる身分を持てる訳だから、会社も20年となれば経済社会の中では一応一人前としてのお墨付きを頂けるのではないかと思われる。
20周年の次は50周年となると、いま私は55才で、あと30年すると85才となると、めでたくもあり目出度くもない感激しか味わえないのではないかと邪推するから、この20周年を何とか楽しく祝いたいのであるが、そうかと云って正月休みに入る社員や取引先を巻き込むわけにもいかず悶々としている半年前の今日この頃である。
今となってはなぜ、12月28日を会社設立日にしたのかと悔やまれるが、親父の気の変わらないうちに、代表権と実印を取りたかった。その当時は20年後の事など何も考える余裕もなかったのである。親父はその後、気楽になったのか私を立ててくれたが、その3年後、脳梗塞を起こし長期の療養生活を送った。50代後半に狭心症で無理が出来ない身体であった父の仕事を取り上げてしまった事でストレスがたまって不治の病になってしまったのではないかと今でも思う。
設立7年後に念願の本社社屋を建て、お披露目の宴を行ったとき、療養先の美山町から呼び寄せた。車椅子の父に参列者は暖かく声をかけてくださった。頷くだけですぐに涙を見せる親父を哀れに思った。
亡くなって10年目になるが、もう完全には回復しない父の身体を見るのが心の何処かで申し訳なく、すまない事をしたと思う。父から仕事を全て遠ざけていた頃、父の友人から諫言をそれとなく言われた事もあったのにと、思い返す。
20周年記念日を派手な宴を催す余裕もない経営状態の今、何としても頑張らねばと日々苦悶としているが、大事な節目を何らかの形で自分にも区切りをつくりたいと思う。
2003年7月25日