相談役コラム
11.202017
水上先生との出会い
水上先生が9月8日早朝、85歳6ヵ月の偉大な生涯をとじられた。
16年前の夏、陶芸家の日置さんから、知人が京都の不動産物件を探しているので会ってほしいと言われ、百万遍のある喫茶店で待ち合わせることになった。その当時、京都もバブル景気で不動産が値上がりし出した時で、名を伏せて面談することはよくあった。
指定の時間には紹介者の日置さんだけが来ておられた。不動産の取引では、時間厳守が当たり前で、しかも初めて合う場合、時間を守らないような方は、今後の取引の信用に関わるので、話は進展しないものである。当時、噂になっていた事件物の取引で3分遅れで現れた売主に買主が怒って、テーブルに積み上げた3億円の現金を引き上げた事件があったりした。
「ちょっと待ってください。お呼びしてきますから」と待つこと約30分。やっと現れたご本人は、濃い背広を着た小柄だが、がっしりした体格の紳士。目つきはきつい感じだったが、話し始めると非常に穏やかで、京都の町屋で陶器を売る店を開き、奥で陶芸工房が持てるような物件はないだろうかということであった。京都も最近は東京からの影響で不動産価格も急騰してきていること、そのような町屋物件は数件あることを話し、弊社は京都の中心街で不動産だけでなく町屋建築もしていること等を話していると、今から案内してほしい、となった。高額な買物をするのに今すぐとはせっかちな人だなあと思いながら、私の車に乗せて見て廻ることになった。
後部座席ではなく横に乗ってこられた。売り物件の前に来ても車から降りずに、車窓から眺めておられる。アポイントを取っていないので物件の中まで案内することは出来ないのだが、普通、お客さんは付近を歩き廻ったりするもの、だが案内した物件全てを車から眺めておられた。この人は本気で物件を探す気があるのかどうか、すこし不安になった。名前を名乗らないようなことは、この業界ではあることだが、物件下見に車から出ないような人は初めてだった。
移動中の車内で、色々喋ってこられた。普通は物件の事だけを聞いてこられるものだが、それとは関係のない私のことや、町屋の事などを質問された。
2時間ほどまわって待ち合わせの喫茶店前で車を降りられた。こちらも軽い下見程度の案内なので、どの物件に興味を引かれましたかとか、営業はしなかった。そのあと日置さんに、「人見さん、あの方を知っていましたか。」と言われ、「知りませんがどなたなのですか。」と聞くと、「作家の水上勉さんです。」
有名人は慎重にならざるをえない訳だからと納得した。私はこの時までは水上作品をほとんど読んでいなかった。色事の多い軟弱な流行作家という認識があったから、早速、本屋にいき何冊か買って読み始めた。若い頃にちらっと読んで軟弱なという印象が、40代になった私を虜にしていくのである。
それから数日して、会社に水上先生から物件の資料を持ってくるようにと電話がかかった。社内はあの有名な作家からの電話で大騒ぎになっていたようだ。
百万遍の指定されたマンションに行くと、若い女性が3~4名いて、それぞれに何かしているふうだったが、応接間に通されると、今度は先生はすぐに姿を見せた。一通り物件の話をしたのだが、私はこの作家のことを知りたいと興味津々だった。
2004年10月23日